餝屋清兵衛起證文


『餝屋清兵衛起證文』筆者蔵

今回は餝職人の起請文です。
不易流砲術が用いる鉄炮の餝金具を製作するために差し出されました。


起證文の事

此度御鉄炮金物御用仰せ付けられ有り難く奉存候.
鉄炮金物の製作を依頼してくれてありがとうございます、と。御用とあり、私的なものではなく公の注文と分ります。

然る上は以来細工の趣.外々様へ聊も相洩し候儀仕る間敷候.
鉄炮の細工は流儀の拘りがありますゆえ、これを外へ觸れ回られてはいけないのです。たゞ流儀の秘密主義という面もありますが、砲術は軍事技術に類しますゆえ、喧しく言われたのかもしれません。しかし、時代も下れば慣例句の扱いであったかも。

若し私共より相洩し候様の 御聞へも御座候はゝ.如何様の 御咎めに仰せ付けられ候共.其節違背申し上け間鋪候.
證文類に斯ういった文言をよく見ます。実際、この通り処罰された例を未だ見ません。

後日の為證據仍て件の如し.
今様にいえば、秘密保持契約の書類です。後日の証拠として保管してください、と。これは不易流の当代三俣氏が管理していました。

嘉永七甲寅四月.餝屋清兵衛.
印文に「姬路餝清」と、左右の住所は明らかならず。

不易流御役人中様.
不易流は姬路藩の御流義にて、良い身分の武士が修行しました。宛先は、同流の高弟か三俣氏本人か不定。不易流御役人というのはちょっとおかしな書き方です。実際鉄炮方ではありませんし、そういった役目も無いのですが、餝屋から見ると、藩の御役人という扱いなのかもしれません。