就無邊無極流印可御相傳起請文


『就無邊無極流印可御相傳起請文』筆者蔵

江戸時代、流儀に入門する者は起請文を師範に差し出しました。
また、入門時のほかに、相傳のときに起請文を差し出すこともありました。これは、流儀や師範によって異なります。
今回取り上げるのは「印可起請文」です。


無邊無極流印可御相傳に就き起請文.
「就」字は「就(つい)て」と読むも可か。

一師弟親近の儀.子孫に至るまて疎畧有るへからさる事.
師弟の関係は共に次の代、そのまた次の代に至るまで関係を継続することがありました。多くの流儀においては一代切ですが、山本家は別格でしょう。なお、「不可不」とあるのは誤りにて、本当は「不可有」です。同種の案文にはそう書かれていますし、そう読まなくては疎略にせよという意味に。

一親子兄弟相弟子たりと雖も.先つ師傳無くして猥りに言はさる事.
もとは、諍いを起させないための配慮かと思います。

一許無き以前.極意の儀毛頭他見他言有るへからさる事.
「許(ゆるし)」は「免」と書いたり「許」と書いたり、師範の判断によって相傳に相應しいと「ゆるされる」ことを指しています。

一習ひ収めたる無邊無極流は.他流と交り較へて自己の新意を及ほし.其の術を改め.或は名を替え品を換へるへからさる事.
改変、工夫せず師傳を墨守せよと。

一自今以後.子孫有りて此の術を傳授するに逮(およ)へは.前の起請文を以てするか如く.之れを相傳すへし.若し多子の中.印可目録書當に授與すへきの者有ると雖も.家にあらすんは之れを授與すへからす.當に授與すへき子無くんは.則ち印可目録書之れを回酬すへし.若し遠國に在て回届すること難くんは.則ち之れを焼捨つへき事.
相傳された傳書の扱いについて述べています。跡継ぎがいればその者に相傳し、相應しい者がいなければ師範へ返納せよという誓約です。「不家」とは、家名を継ぐ者でない場合を指すのでしょう。

右相背くに於ては.敬ひて白す.
列挙した箇條に背いた場合は、とこゝで神の御名を挙げるに「敬白」と前置き。本邦において「白」字は「まうす」の訓をあて、重々しい語です。神文の詞は古例に則るものでしょうか。時代がくだるにしたがって同輩にも用い、その使用の範囲は広くなったようです。

梵天帝釋.四天王.伊勢天照太神.諏訪八幡.摩利支尊天.當國守護神.日本國中大小神祇.各御罸を蒙るへきものなり.仍て件の如し.
神々の御名に誓いますということ。

追加.
代々用いられてきた起請文の定型詞に加えて。

本文起請文の趣.背き申す儀は申すに及はさる儀.罸文の通りに候.自今彌御流儀大切に仕り.虚を以て懈怠仕らす修行仕るへく候.尤も本文一ヶ條の趣.敬ひて守り仕るへく候.右の追加.前度之れに直からさる面々之れ有るに付き.重書仍て件の如し.
時代が下り武士の氣風も衰えたものか、代々の起請文の文言ぐらいでは言い足りないと考えたのかもしれません。

天明壬寅年五月.三俣惣之進義行.
起請文を差し出した日付と、差出人の名前。この人は酒井雅楽頭家の御家中、今風に言えば姬路藩の侍です。

山本嘉兵衛殿.
起請文を受け取る師範の名前です。公儀の鎗術師範にて偉い人です。公儀の家来だけでなく、藩主などにも指南しておりました。当代は山本久忠。


これら起請文の文言は、大体あらかじめ決まっているものです。
門弟は、師範から起請文の案文を渡されるか、師範のもとで案文を写し控えるなどして、後に浄書して差し出しました。
姬藩の場合、山本家との仲介役となる藩士がおりまして、その人が案文を用意したものと思われます。