五月近況

5.6
窪田清音の記事を書き終えました,
数日の間に仕上げるのはちょっと難しく,資料を充分に取り寄せないまゝ書き上げてしまい悔いております,
追々資料を取り寄せて加筆していこうと思います,

5.3
先ほど,山鹿素水の『外寇御守衛之儀ニ付乍恐謹而愚意之趣奉申上候』と,窪田清音の『練兵新書巻 副言』とを読み終えました,
今度,サイトにおいて窪田清音の書簡を取り上げようと思い,下調べをしている真っ最中です,

窪田清音の著書は刊行されていませんし,山鹿素水による山鹿流の教法も史料が見当たりませんし,あまり史料が揃わず残念です,

5.2
先日,本心鏡智流の鎗の穂を買いました,
あまり,というか全然買う積りはなかったのですが[そのときは目的が違ったので],ふと目にすると造りはしっかりとしているし,中心は切れておらず,在銘にて年紀も分ります,
但し拵はありませんし,錆びているため値段もお手頃,一面丈け窓明けされていて,見たところ鍛えも良さそうです,購入しないわけにはいきません,
もちろん登録証は付いています,


『本心鏡智流鎗』筆者蔵,

表には「豫州松山臣山城守百國末 藤原國住七十七歳作之」,裏には「天保十二丑年八月日」と銘されています,
分り易く区切ると「豫州松山の臣,山城守百國の末,藤原國住,七十七歳之れを作る」です,
「豫州松山の臣=藤原國住」,銘文によれば伊豫松山藩に仕えていたようです,

銘鑑に照らして詮索すると,「藤原國住」は「山城守百國」に学び[或いは國吉門ともあり,伊豫に國吉という刀工の名跡あるも詳らかならず],松山と江戸と両方の地で作刀していた鎗鍛冶との事,

「山城守百國」とは,すなわち「山城守國重」のことにて,この刀工は武蔵太郎安國に学び,寳暦・明和のころの作刀が確認されていて,江戸麻布に住したとされます,

一,手元に幕臣山脇治右衛門が記すところの種田流の穂の図あり[會津において鍛えられたとされます],これは本心鏡智流の穂とよく似ています,一の目釘穴の位置も寸分違わず,もう少し中心が長く造られ目釘穴は一つといった点が違います,
山脇氏の勘違いでなければ,種田流と本心鏡智流の穂造りの作法には,共通した何かゞあったように思われます,


『樫原改撰流鍵鎗』筆者蔵,

一,本心鏡智流は,樫原流を学んだ梅田治忠が開いた流儀というのは周知のことゝして,その樫原流から分れた樫原改撰流の穂が上掲の通りです,これは諸鎬にて,本心鏡智流よりも中心が短いです,