十一月近況

11.25
こゝ半月ほど手掛けていた大坪流の馬書をようやく掲げることが出来ました。翻刻自体は滞りなく済んだものゝ、人物の略伝に手こずった為今日に至りました。
実はこの馬書を受け取った人物のことも分っています。されども、複写を依頼した資料が待てど暮らせど届かず、仕方なく後日追記することにしました。

11.14
長文史料の翻刻は暫く休もうと考えていましたが、連日翻刻を続けています。
今回取り掛かっているのは、未だ翻刻したことがない馬術の傳書です。書かれていることが(私にとっては)目新しいので意気揚々と取り掛かったのですが、二巻目の翻刻に凡そ八時間を費やしたとき(全文校正も行い)はさすがに参りました。今日で六巻書の内四巻が出来上り、あと二巻です。


『手綱の目録の事一』個人蔵

この馬術の傳書は慶長年に書かれたもので、仮名遣いを主にしており、且つ言葉遣いが古く、読めない字よりも意味の分からない言葉に幾度か足止めを余儀なくされました。
 ゆくやかに(緩やかに)
 すくやかに(健やかに)
 しつくる(躾くる)
 いかし馬(厳し馬)
 なけひらむ(鳴け怯む)
 ひつて(引手、轡の部分)
 ひきく(低く)
 けて(蹴て) けめば(蹴めば)

どうやら、この六巻書というものは、片口の馬・なへさす馬・手綱をこす馬・こは馬・いかしの馬・人おとす馬・あかり馬・人くらふ馬・とふ馬・はね馬・物見る馬・人引馬など、何らかの癖をもつ曲馬・過馬をいかにして扱うかということに重点が置かれています。
斯ういう馬は斯うして対処する、斯ういう馬に乗るときは斯ういうことに注意する等々、実に詳細な話しです。先人たちが積み上げてきた経験・工夫が網羅され研究され、新たな工夫や発見が加味されているのだろうと想像します。

11.10
「真極流柔術の手数書(一)」の翻刻が出来上りました。しばらく長文の翻刻は休みます。

 〇 読み
毎日のように史料を読んでいても、未だに何と読むのだろうか?と分らない言葉が度々あります。
以前、姫路藩士の日記を読んでいるとき、「被給候」という言葉があり、読み方が分らず戸惑ったものです。「被給 たまはられ」かな?と思いました。
後々この読み方を見付けたところ、「被給候 たまはり候」「被送給 おくりたまはり」等と書かれていました。往来物では「給 たまは」「被 り」と読み仮名が振られています。

11.9
丁度良い機会なので「真極流柔術の註釈書(一)」の翻刻に取り掛かりました。三割ほど出来ています。
なお、「註釈書」という名称を「手数書」に改めました。

11.7
「真極流柔術の註釈書(二)」の翻刻が出来ました。

 〇 読み
昨日に続いて語句の読みです。調べれば調べるほど難しさは増します。

「被」という字は、「被仰付 おおせつけられ」「被成下 なしくだされ」のように、下の字から返って「~られ」などゝ読みます。ところが、中には「るゝ」という読み方もあります。
「被恵厚賭之段 こうふをめぐまらるゝ」「被誡置也 いましめおかるゝなり」

江戸時代は濁点をつけましたが、現代においては濁らない字もあります。とても紛らわしいです。
「令啓達候 けいだつせしめ」「調達 てうだつ」「末筆 ばつぴつ」「萬福 ばんぶく」「已下 いげ」「無異 ぶい」「無懈怠 けだいなく」「貴殿 ぎでん」

「御」の読みも難しいです。「御」は「お」「おん」「ご」「ぎょ」などの読み方があり、これははたしてどこで判断するのかと首を捻る語句があります。
「御慶 ぎよけい」「御供 おんとも」「御籏本 おんはたもと」「御勤仕 ごきんし」「御出 おんいで」「御訪 おんとふらひ」「御序之刻 おんついでのこく」「人々御中 ひとびとおんなか」「御目見 おめみへ」「御懇之御意 ごこんのぎょい」

江戸時代と一言で云えどもその期間はとても長く、おそらくは読み方も変化していったと思います。今回例に挙げた読みは、天保以降の往来物です。四,五冊を参考にしました。これらの読みが間違いなく正しいというのではなく、斯ういった読み方もあったという例です。

11.6
「史料輯録」は区切りの良いところで一旦止め、目下「真極流柔術の註釈書(二)」を翻刻しています。既に八割方出来ているので二三日中には完成するでしょう。

以前載せた「真影山流居合の註釈書」は縦書に改めました。
この手の史料はかなりの長文につき、以前のデザインではずっとスクロールしていかねばならず面倒でした。縦書でコンパクトに収められたので、読み易くなったと思います。

 〇 読み
古文書を読むとき、未だに確信の持てない語句が幾つかあります。
「然者」、これは通常「しかれば」と読み、江戸時代の人もそう読んでいますが、先日読んだ各務支考の書簡において「しからは」と平仮名で書かれた処があり、これは勿論漢字にすれば「然者」ですから、どちらの読みも有り得たのかもしれません。

読み方を確認するときは、第一にその史料が書かれた当時の書物を頼りにします。
たとえば、「往来物」には読み仮名が附されており、これは結構民衆に浸透していたのではないかと思います。およそ考えた通りの読み仮名が振ってあるのですが、たとえば「申入候訖」には「もうしいりさふらひをはんぬ」と振られています。「もうしいれ」では無いのです。たしかに「頼入候」なら「たのみいり」と読んで「たのみいれ」とは読みそうにありません。しかし、現代では「申し入れ」の読みが浸透しておりどうなのでしょう?

また、往来物における「差出 さしいだす」「可出 いだすべし」「出向 いでむかひ」「御出 おんいで」「可罷出 まかりいでべく」などを見ると、「出」の読み方も現代の人とは違います。昔の人は「出」の字を「出(い)だす」「出(い)でる」のように読むのが普通で、現代のように「出(で)る」とは読まなかったようです。いつの間にか「い」がつづまって無くなり、「出(で)る」「出(だ)す」に変化したのだろうと想像します。
 後々調べてみると別の往来物では「差出置候 さしだしおき」との読み仮名もあり、どちらの読みが普通だったのか悩みます。

あと、意表をつく読み方も多くあります。
「日外 いつぞや」「今朝 こんてう」「昨今 さくこん」「明日 めうにち」「近来 ちかごろ」「今日中 こんにちぢう」「逐日 おひじつ」
この辺は意識しないと、つい現代の読み方「今朝 けさ」「昨今 さっこん」「明日 あす」等と読んでしまいますが、昔は違っていたのかもしれません。

とはいえ、往来物が当時の教科書的存在であったならば、その時の民衆が実際に読んでいた言葉とズレがあったとも考えられます。斯ういった不安を解消するためには、やはり実際の史料、書簡などから逐一読み方を収集する必要があるでしょう。時々、平仮名で書いたり、送り仮名を付けたりするので、本当はどのように読んでいたかを考える手掛りになります。

11.3
先日のこと。辻月丹に関わる手紙があります、辻記摩多が書いたようです、興味ありますか?、と知人に聞かれました。勿論、私は是非とも見せてほしいと懇願し、翌日の再会を約す。帰宅後は、記摩多とは二代目の人だろうか、それとも後代の人だろうか、と考え楽しく過しました。


『酒井忠擧書簡』個人蔵

さて、翌日披見したところ、記摩多が書いたのではないと直ちに分り、ちょっと戸惑いましたが、改めて見れば辻月丹老宛ての手紙です。差し出したのは酒勘解由とあり、前橋藩(厩橋藩)の家老だろうかと思い、いざ文面を読んでみると、どうやら越中守が辻月丹父子の剣術を見てその感謝の言葉を水野壱岐守に取り次がせた、それで酒井勘解由は辻月丹にそのことを伝え、且つ後日会うことを確認し、辻記摩多らに贈り物をしたと書かれているようです。

後々調べてみると、勘解由とは酒井忠擧公が隠居後の名乗りでありました。世間的な評価のほどは分りませんが、在り来たりな辻記摩多の手紙よりもむしろこちらの方が良かったと思います。先々月末に「酒井忠擧公平常の御行跡」を書いたばかりで、忠擧公と縁があります。

註 水野壱岐守とは、正徳二年二月十二日壱岐守に叙任した水野忠定。越中守とは、享保元年四月九日越中守に叙任した細川宣紀でしょう。この直前に松平定重が越中守でありましたが、当時の書中において名字を書かず単に「越中守」といえば、細川家を指すと考えるのが妥当です。
いずれ調べ終えたら「史料輯録」に載せます。