十月近況

10.28
新たに「史料輯録」という項を立ち上げ、こゝ暫くは掛かり切りです。
武藝とはいさゝかも関係ないので、おそらくは誰も興味がないだろうと思いつゝ、しかし読解力を磨くには良いとも思い続けています。たとえば、普段はしない訳文の作成ですが、いざ訳すとなると意外にも難しいのです。これは実に迂闊でした。翻刻だけして、何となく分った気になっていた訳です。

訳文の作成が難しい点は、その前後の事情を知らないことです。何のことを言ってのか分らないところは、前後の文脈を推し量り辻褄を合わせます。正解は無いので、経験丈けが頼りです。間違っていたらすみません、と謝るほかありません。

書面を訳していると、些細な言葉にも敏感になります。おかしいなと感じたときは、やはり翻刻が間違っているということがしばしばありました。

また、訳したあとで調べものをしていると、これはそういうことかと判明することもしばしば。たとえば、桂太郎の書面に「脱艦」という言葉があります。私は艦を降りたことを云うのだろうと思っていましたが、これは「旧幕府の脱走艦」を指しています。海に面していない福島城下でなぜ艦を降りたのかと疑問に思っていたところです。
武田耕雲斎の書面においては「攘夷」という言葉があります。歴史に疎く、異国船を打拂う類いの攘夷を想像していましたが、この当時の局面で耕雲斎が云う「攘夷」とは「鎖港攘夷」を指しています。知らないとは恐ろしいことです。全然意味が違ってきます。

10.14
しばらくサイトの更新が滞っておりました。どうすればサイトの縦書レイアウトがきれいに表示されのかを模索していると、答えの出ぬまゝ思いがけず時間ばかりが経ってしまいます。


『新天流巻』個人蔵

今日は新天流の傳書を載せました。下絵に特色があります。始めに摩利支尊天を配し、次いで天から太刀を持って舞い降りる烏天狗、そして鼻高天狗と烏天狗が太刀をとって立ち合う姿五図が描かれ、鳥居と社殿で終ります。


『新天流巻』個人蔵

10.4
傳書の翻刻は少しく滞り、こゝ数日は日記や手紙の翻刻に専念しています。

下に掲げたのは、安政三年の江戸滞在時期に姫路藩士が執筆した日記の一部です。
出府の命によって江戸に着き、そろそろ炮術の稽古を始めようかという頃で、炮術師範という立場であり乍ら、銃の的張りをしています。斯ういった下準備の作業は、弟子に任せてしまいそうなものですが、意外と師範自ら準備することが多いです。あるいは、弟子に手伝ってもらうこともありました。


『江戸日記』部分 個人蔵

  等へ通達致候事
一 本多氏肩衣并お□[房]きせる出来
一 青山氏へ土産為持巣鴨へ□吉遣候事

   同廿八日曇天朝の内少々小雨
         夕方晴る

一 従姫路去る六日日附手紙届く
一 中目付出立に付石田勘九郎岩松氏への二色繪遣
一 八寸銃的張致候事
一 お松春二芳賀同道両国芝居行

   同廿九日晴る

一 昨晩飯田丁中坂辺出火 御上屋敷へ出る
一 御手筒掛に付四時より終日出席
一 喜多猪介へ都筑氏への盆并本多氏肩衣
  頼遣置候

   同晦日晴る

一 終日銃的胡粉引五寸角張不残仕立
一 荒木氏今日立の由為助に手紙頼候


『江戸日記』部分 個人蔵

   十月朔日晴る朝五時過地震

一 御側稽古終日

   同二日晴る夜四つ時過少々地震

一 御繰形 御稽古昼後今日より始る
一 柴田十郎左衛門并惣之進お房より十六日付届く
一 御法事御香奠本約出役へ相納る

   同三日曇る夕八時過より雨

   同四日晴る

一 昼後桐久并友吉方へ手土産持参
一 廣大院様十三廻御忌明五日より十日迄於
  増上寺御法事有之旨御觸有之

   同五日曇る昼前より晴る

一 志賀氏同道深川邊へ廻り帰り懸川端屋
  にて酒給候事