伝書の用意(三)、宇都宮藩

前回に引き続き「伝書の用意」について。
今回は関連する史料を掲げます。


『居合剱術傳書四巻』個人蔵

江戸時代の後期かと思しき桐箱に収められています。おそらくは伝書の製作とあわせて誂えられたものでしょう。居合の”居”の字は、中が”立”の字に書かれており、居合と立合の意をあわせたのでしょうか。

各巻はこのように判・印を欠いています。
当初私は、この伝書が藩主へ披露するために作成されたのだと考えました、だから判・印を敢えて欠くのだと。
しかしそれが思い違いであることは間もなく分かりました。
その答えは忠恕公にあります。
渡邉量平が下野宇都宮藩の剣術師役であったことからして、忠恕公とは同藩の藩主戸田忠恕公のこと。公は天狗党の乱のとき責任を問われて藩主の座を退けられ隠居させられます。ときに18才。
こゝに掲げた伝書は、そのような出来事があったから未伝のまゝ保管されたのではないかと思い至りました。或いは、公が22才の若さで早逝する慶応4年5月までには戊辰戦争があり、そのごたごたがあった為に傳授が延期されたとも考えられます。こちらの方が有力かもしれませんね。すなわち、未伝の理由は披露のために作成されたからではなく、そういった藩主の事情によると見て良いのではないかと思います。

今回の「伝書の用意」というテーマに従えば、この未伝の伝書は藩主の側か師役の側かどちらが用意させたのか明らかにすべきですが、その手掛かりはなく果たせませんでした。

最後に、戸田忠恕公の武藝履歴というのは今日伝えられておらず、こゝに掲げた四巻によって忠恕公が直心影流・林崎甚助流居合の免許を相傳されるほど武藝を嗜まれていたことが明らかとなったのは幸いでした。ほかにも執行されていたのではないかと思います。