伝書の用意(二)、尾張藩

前回に引き続き、伝書の用意に関わる手紙です。
今回も弟子の側で伝書を用意しており、当時はひょっとすると弟子の側で伝書を用意することが珍しくはなかったのかもしれません。あるいは普通のことだったのか、誰も研究していないことですから、その辺の事情は確たることが分りません。

さて、手紙を認めたのは表具屋であり、山鹿流の傳書三巻の製作について述べています。書中、山鹿流云々とは触れられていませんが、元は伝書と同じ箱に入れて保存されていたのです。この伝書三巻は弘化・嘉永の年紀、巻子装、料紙は上下境界引、表具裂は無く昔は有ったのだろうと思います。
年紀に隔たりがある、しかしまとめて製作される。これは当時において、珍しいことではなかった筈です。というのも、そういった年紀の隔たりがあるにもかかわらず、装幀が同一のものを少なからず見かけるからです。

表具屋の仕事の範囲はどのようなものだったのでしょうか。
手紙を読むと「尚々被遣候御手本巻物壱巻御戻し申上候」の一文があることから、表具丈けの仕事ではなく、渡された手本に従って全て表具屋任せで製作されたことが分ります。その工賃は「壱巻ニ付代弐匁七分ツゝ」と、さほど高くはなかったようです。

次に伝書の製作を注文した桑原権之助という人物。この人は尾張藩の郷士にて、織田・徳川に仕えた由緒ある家柄、代々が桑原権之助の名乗りを世襲したそうです。
先述のとおり、この人は山鹿流の師範ではなく、山本多右衛門という軍学師範に学んでいました。



『森太兵衛書簡』個人蔵

桑原権之進様 表具師 森太兵衛
     御報

前書難有拝見仕候然者
巻物三巻御注文被下
難有奉存候壱巻ニ付
代弐匁七分ツゝニ而仕立
差上可申候當春も彼是
多忙罷在候間何連来月已後
ナラテハ出来不仕候間左様御承引
奉願上候先者右御報旁
恐々頓首

正月五日

尚々被遣候御手本巻物壱巻
御戻し申上候御落掌可被下候以上