伝書の用意(一)、姫路藩

姫路藩の初代藩主酒井忠恭公(古岳院)が無邊無極流鎗術を稽古していたおり、御相手を勤めていた平林儀助があやまって君の御手を強く痛め夥しい血が流れた。
この出来事があって皆が肝を冷やしていたところ、酒井忠恭公が公儀の鎗術師範 山本嘉兵衛へ「およそ稽古は少しも控えなく力量一杯に致さねば宜しからず、大方は控えめに致すゆえ大名藝と申して真のところは出来兼ねず、彼(平林儀助)がようなる向う見ずな者がいなければ私の稽古も上達しませぬ」と話した。
いかゞすべきかと恐れ入っていた平林儀助は、この御意を伝え聞き有り難いことだと思った。『姫陽秘鑑』

この逸話は、酒井忠恭公が無邊無極流を熱心に学んでいた当時の状況をよく伝えています。
また、次代の藩主酒井忠以公(超宗院)もまた公儀の山本嘉兵衛に師事し皆伝を伝授されました。

さて、こゝに紹介する手紙は、公儀の鎗術師範 山本嘉兵衛に宛て、用意した印可の巻物九巻に名前と判形を下さるよう願い、あわせて略儀であることを詫び、且つ神文も九通送った旨を述べたものです。但しこれは下書。
私はこの手紙を読むまで、傳書というものは師範の側で用意するのだと無意識に思い込んでいました。というのも、あまり斯ういったことは記録に残されないからです。
しかし調べてみると、姫路藩の御流儀である無邊無極流に関しては「御流儀鎗術印可被下置候節之事」という定があり、家中の士で鎗術印可のときは以来巻物を自前で拵えるべき旨が藩内に布達されていました。惣領分や御中小姓には代金壱両が藩より下されます。

 御流儀鎗術印可被下置候節之事
 一御家中之者槍印可被下置候節巻物以来自分ニ而拵可申
 候惣領分御中小性巻物代金宛被下置候旨被 仰付
 候段松平島図申渡之              集書



『金原浅右衛門書簡下書』個人蔵

 猶々向暑□□[之節]折角
 御自愛被遊候様ニ奉存候
 乍序時候御容躰も相伺
 申上候猶追〃對弁ニ申上候
 以上

一筆啓上仕候先以而暑
相募候得共益御勇健被為成
御座目出度御儀奉存候且亦
先達而御流義御鎗御傳授
被下候面〃今度御印可御巻物
相認候ニ付差上申候御名前
御判形被遊被下候様ニ仕度候勿論
巻数九通り遠路之儀ニも
御座候間入器一ツニ相包差上申候
略儀之段偏御用捨被下候様ニ
何茂宜申上呉候様呉〃申聞候
神文茂九通相添差上申候
何分可然様奉頼上候此段
為可申上捧愚札候恐惶謹

    金原浅右衛門
 月日     名前判

山 嘉兵衛様  宗豊(判)
   御披露


金原浅右衛門の名は、明治2年の『巳年増減替〆帳』によれば高二百六十石、幕末に海防のため出兵した藩兵名簿の頭取にもその名を見出せます。

卯可巻物を無事受け取ったものは、その御礼を認めました。これは下書です。


『河合五郎三郎書簡下書』個人蔵

一筆啓上仕候薄暑
之節益御勇健可被為成
御座恐悦奉存候此度
御流儀御印可御傳授
被成下右御巻物拝受仕
過分至極
難有仕合奉存候乍憚
右御禮為可申上捧愚札候
恐惶謹言

     河合五郎三郎

嘉兵衛様
   参人〃御中


この後、山本嘉兵衛は贈られた御肴代の御礼を認めた筈です。


話しは戻り、印可巻物を自前で拵えたときの史料が現存しています。傳書に書かれる人の画は、本来意味深いものでありますから門弟に任せず、師の側で作成すべきものであったと思われます。しかし、時代が下るにつれて形骸と化してしまい、門弟任せの伝書作成も行われるようになったのでしょう。尤も門弟の側も忠実に写そうと努めたらしく、下書の中には「十文字少先上げ認むべし」「鑓先少し下げ認むべし」「先生巻物切先上る」等の注意点を記した紙片も入れられています。


『無邊流印可下書』個人蔵

参考資料
『姫陽秘鑑』姫路市史編集室
『姫路藩家臣録』姫路市城郭研究室所蔵