宮北十郎左衛門の手紙(一)、伝書の実躰

この手紙には当時の伝書事情が述べられてます。



『宮北十郎左衛門書簡 八月廿一日』個人蔵

[前切れ]
義に候最前経無方□□
致御傳受候書物の内に
在之分にて相済、定て
高上極意印可可被致傳受
と書物奥書に在之候へとも
右に申候通、経無居士御傳受
申候趣にて相済申候、先師
土屋市兵衛殿より私はしめ
書物申請候者共、餘ほと
有之候へ共印可并高上極意
の免状に到り候分を得傳受候
もの一人も無之候、尤其内市兵衛殿
間もなく致病死候へとも惣て
高上極意印可状定て可
令傳受と有之は書物柄の
文躰とて外に傳授の義は
無之候、併市兵衛殿家傳
の義は秘密にて一子相傳
の儀は在之由及承候、此義は
高弟も不存義にて御座候、市兵衛殿
子息土屋助七と申、己と勤
居也申候へとも幼年の頃厳父に
はなれ被申候故今以傳授も
受被申間敷候最前貴様へ

経無居士御傳受申候趣にて
相済申候、左様御心得可被成候
右の外に奥儀被相傳候ものは
私はしめ其他一人も無之候間
可被思事、最前横井久太夫殿
被仰聞候趣と此度被仰聞候
御紙面の趣とは相違仕候故
久太夫殿への先日の拙者
御挨拶も致相違候、自然
経無方より進候、書物の内に
御不審の義も有之候はゝ
御書抜可被遣候、書付可進と
申候義にて御座候、此上尚又
右御書物の内に御不審の所も
在之候はゝ御書ぬき可被成候
書付候て可進候、恐惶謹言

   宮北十郎左衛門
八月廿一日   定由
  九月五日返事遣

小川金左衛門様
      御報

尚々右得御意候趣に
相違毛頭無之候間左様に
御こゝろ得御安堵可被成候以上


やりとりをしているのは本流と支流の関係にある福井藩と加賀藩(推定)の士。両者共に、土屋市兵衛という人物に多宮流居合(田宮流の系)を学びました。書中「印可并高上極意の免状」について言及します。
小川金左衛門は師範を勤めた人物です。自身が傳授された伝書の奥書に示される「印可并高上極意の免状」の存在について疑問に思ったのだろうと思います。質問を受けた宮北十郎左衛門は、他の門弟や土屋市兵衛の子などにも確認して「印可并高上極意」が実質的には存在しないことを明らかにしています。

「惣て高上極意印可状定て傳受せしむべし、とこれ有るは書物柄の文躰とて外に傳授の義はこれ無く候」

このような実情は、伝書の奥書を全く鵜呑みにすることの危うさを端的に表わしており、また当時の門弟たちの認識や情報の共有を示す事例として参考になると思います。愚考するに、昔は「高上極意印可状」が存在したのかもしれません、いや代々が継承してきた奥書の記述に随えば存在した筈です。いつの頃か傳落してしまったと考えるのが妥当でしょう。

参考資料
『多宮流居合傳来覚書』個人蔵
『福井市史 資料編』福井市史編纂委員会
『金沢市史 資料編』金沢市史編纂委員会